自由ヶ丘プラザのマルシェで
上ヶ流いぶき三年番茶を勧めて会話が始まった。
結婚してこちらに来たころ
福岡の実家の母が毎年毎年,
飲みきれないくらいの自家製の茶を送ってくれた。
色は真っ黒だったけれど
ほかの茶には無い独特の香りと清涼感があった...。
ぼくの三年番茶が彼女の記憶を呼び覚ました。
母がね,田んぼの畝に植えてある茶を摘んできて
大きな釜で炒ったんですよ。
大忙しで釜の中の茶をかきまぜかきまぜ炒って,
炒り終わったのを蓆に広げて,それ揉め,やれ揉め,と。
こども心に,茶作りは熱くて暑くていやだなぁ,
といつも思っていたんです。
実家で家を継いだ長兄も会社勤めで,昔のように茶を作らなくなって,
母からの茶もいまはもうほんの少ししか届かなくなったんです。
そうなんですか。
番茶,番茶といって,あまり有難味を感じていなかったんですけど,
あのお茶こそ日本の村々,家々が伝えてきた伝統だったんですね。
釜炒りしている農家(茶農家じゃない農家)どれだけあるのか
知る由もないけれど,釜炒りがまだ歴史になっていないことを知って
うれしくなった。
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